太陽族

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BANANA MOON RECORDS STEREO

Vo.花男より

太陽族を高校生の時、17歳の時から続けてくる事ができました。
いちばん最初に伝えたい事は、
出会い、支えてくれたお客さんひとりひとり、
本当にありがとうという気持ちです。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
届くかな。ありがとう。
そして同じくありがとうを伝えたいのは、
サポートしてくれている大好きなスタッフたち、
ライブの日全てが、心でまだ鳴り続いているライブハウスのみなさん、
弾きがたりライブをさせていただいている会場や、
その1日1日を支えてくれている各地の戦友のみなさん、
我が子のように愛している生まれてきてくれた曲たち。

そして家族、友達、太陽族に感謝の気持ちがたくさんです。
本当にありがとうございます。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう!


それと同時に、もうひとつある大きな気持ちは、
活動を止める事になってしまったこと、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
それと悲しくて悔しくて、やっぱり申し訳ない気持ちです。

今年で20周年。
ここまではたとえ何があっても続けようと、メンバーでも話し、
そして当時妊娠中の嫁とも話し、
もちろんその先までもずっと、イメージしていた今年の活動。

その中で、
太陽族を今のペースでは、 活動していく事ができないなと、
思うきっかけのできごとが、
バンドの中でひとつありました。

具体的には、自分自身だけの事ではないので書けませんが、昨年の8月頃の出来事でした。
それから、それぞれの生活をもうすこし整えてからではないと、
バンドを続けるのはむずかしいのではないかと、
そういう想いが心を廻るようになりました。

誰が悪い、誰の責任だと、
ここに書いたり話したり、そして想う気持ちはなく、
やはり、バンドはチーム。
誰かをせめるような未来は作りたくないなと、おれは思います。
バンドの全力の活動の中で、
バンド全体にも、もちろんおれ自身にも、
足りなかったものもあったのだと思います。
重ね重ねになってしまいますが、悔しく、申し訳ない気持ちでたくさんです。

10代、20代、30代と、
心が爆発し続け活動してきた太陽族。


心が爆発したまま今日までやってきたと想える中、
夏頃からすこしずつ、
バンドを見た時に、いろいろな想いがめぐるようになり、
自分が爆発していたい形と、バンドの形とがちがうのではないかと、
戸惑い苦しむ自分がでてくるようになってきました。


そんなはずはないだろ、と想い、もがき、
でも、どんどんなおさら苦しくなっていく心が、
明日すら見えなくなってくる精神状態になってきていました。
その中でも、
たくさんの方に支えられ、
ライブは全力でやってこれました。

高校時代からの親友でもあり、戦友でもある、
大好きなメンバーと、
奇跡みたいな出会いと想いで助け続けてくれている、
きーちゃんやスタッフたち、しんごちゃん、さる男、
いまもレーベルメイトだと思っているTHE SNEEZE、
バンドで開催した仲間とのイベントやライブ、
各地の、本当に大好きすぎる友達たち、
全員酒飲み友達といえる、大好きなこれまでのメンバー、
今までを作り上げ、今でもそばにいてくれる歴代のスタッフたち。
なんとかバンドにつなげたいと、
続けてきた弾きがたりで出会えたいろんな町のみなさん、
そこから太陽族がライブできる環境を作ってくれた、
歳をとってから出会ったはずのに、
生きてる時間をずっとを愛せる、大切な仲間やお店たち。
そして東北を友達と弾きがたりの旅でまわり、
その旅の中とみんなの力で、
開催のきっかけを作れた騎馬武者ロックフェスと、これからも続けていくと決めた、協力してくれた方たちのおかげで生まれた、みんなの花火募金。
スタッフの名前や、バンド名や、ライブハウスの名前、イベント名、友達の名前をあげればきりがないです。
その全てがいてくれたから、全力でやってこれました。

そして何よりいちばんは、
そばにいてくれるお客さんのみんながいたから、
やってくる事ができました。
ずっと大好きです。出会ってくれて本当にありがとう。




そして一時は、資料請求もして、学校にも通おうとし、
真剣に就職しようと考えていたおれを、
歌えといってくれた嫁、
そして、生まれてきてくれた麦。

半年近く、太陽族をなんとか続けられないか、
悩み苦しんでいた時期、
何度も何度も救ってくれたひとつは、
嫁と子供でした。
ちいさくてもあたたかいぬくもりと、
子供の奇跡のような成長でした。
東京に住もうかとも話していた、北海道に住む嫁と子供、東京に住み続けると決めていたおれの、始まったばかりのちいさな3人の家族。

その中、今回の決断に家族の事は関係はしていなく、むしろ家族がもしいなければ、
今日までやってくる事はできませんでした。

本当に感謝しています。

そして、今これを読んでくれている全ての方に、
ありがとうございますの気持ちがたくさんです。

20年歌い続けてこれた太陽族を、
続けるにはどうしたらいいだろうともたくさん考え、
話し合いもし、何度も考え、
メンバーひとりひとりと会う時間を作り、
話し、考え、
太陽族を思い切り鳴らしたい、
その想いは全く消えていないのですが、
やはり、現在の太陽族を考えると、
活動休止と表現するしかないのだと思いました。

その先にもし(やはり復活できませんでした。)
という未来があるのなら、最初から、潔く解散にした方がいいと、
何度も繰り返し考えましたが、
活動休止に決めました。

理由の大きなひとつに、
太陽族を見た時の自分の想いですが、
今回、いろいろな出来事があり、
それぞれの生活がもうすこし、しっかり土台ができて、
それから、1度みんなで集まり、太陽族の事を話してみたい気持ちがあるからです。

将来、自分自身も願い想う、「思い切り鳴らせる太陽族」が、
はっきりした時がもしもくるならば、
おれは、ライブしよう。と、
月に1度でも、年に1度の活動でもライブしようと、
解散してようが、なんだろうが、
いえたらいいなと思っている自分がいます。

太陽族が、大好きです。
ボーカルでもありますが、みんなと同じ、
太陽族ファン、族っ子の自分がいます。




これからの事は、
活動休止前の2016年2月23日渋谷クアトロ。

東京のみとなりましたが、これない人にも届けと想いながら歌う夜です。

特別なライブではなく、いつも通りのライブをします。
今までもこれからも、すべてのライブが特別だからです。

その後の事は、ライブが終わってから、
みんなにお知らせできたらなと思っています。



解散、活動休止、脱退、いろんな話が飛び交い、

バンドがどうなるのか、最終決定したのが、
札幌ワンマンの12月20日の夜でした。それまで、はっきりと告知できる事がありませんでした。

なんとかできないのかと最後の最後まで悩み続け、
いつも通りの自分でいようと無理するうえ、自分が自分じゃないような状況にもなり、
家族にも心配をかけたり、
ぐちゃぐちゃでからっぽのわけのわからない時間を、
冷静ではいられない状態ですごしていた毎日でした。

そしてライブにきてくれている、
曲を大切に聴いてくれているみんなに、
この状況の事を話せなかった事も、
申し訳なく、苦しい気持ちでいっぱいでした。

ここに書いたものは、
他のメンバーの事を書くのは、
そのメンバーの想いをすべて書けるわけではないので、ここには避けた方がいいと思い、自分個人の事を中心に書かせてもらいました。

ただ、大好きなメンバーへの想いを、
すこしだけではありますが、書かせてください。

みんな高校からの尊敬する親友であり、
大好きなアーティストであり、
一緒に演奏できて、本当に幸せです。
そして、この4人がメンバーでなければ、
続ける事はできませんでした。ありがとう。
きーちゃんとさる男、スタッフのみんなへも同じくありがとう。

本当は、お世話になったみなさんにひとりひとり直接話したいのですが、
この場でお伝えする方もおおくなってしまいました。

今後、すこしずつ改めて会いにいけたり、
心を込めて連絡できればなと思っています。
いまの気持ちは、ここにいくら書いても書ききれません。



2月23日以降の自分の活動は、
2月23日まで、全力で走り、
その後、お知らせします。

その時の自分の感情で、
まっすぐ気持ちをお伝えしようと思います。

そこからまた夢と目標を持って、戦い始めようと想っています。微力ながら、花火募金も集め続けます。
自分ができる精一杯の恩返しを、今後の表現活動という生き方で、すこしずつすこしずつ、
手作りの音楽を、手渡しの気持ちで伝えていきます。

そう想えているのも、
今日までの全ての時間と、音楽活動で出会ってきたみんな、
太陽族、友達、家族のおかげです。
ありがとう。
そして数々の想いを胸にライブにきてくれたみんな、
曲を大切に抱きしめるように聴いてくれているみんな。

みんなに会いたいです。



「あたたかい音楽を鳴らしたい。」

17歳で決めた夢は、今も胸の中に燃えています。


花男

(2016.01.10)

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